ヒューマンエラー研究の背景

なぜ、私がこのような安全推進の活動をやるようになったのか、そのきっかけをお話しします。少し長くなることをご容赦ください。

パイロット希望から管制官へ
もともと、私はヒューマンエラーの研究に従事することになろうとは全く考えていませんでした。私は飛行機が好きで、将来はパイロットになりたいと夢見ていました。高校時代には、パイロットの書いた本や飛行機について書いてある本を読みました。坂井三郎氏の「大空のサムライ」は特に面白く、夢中になって読んだものです。ゼロ戦と言えば、ファイターパイロットです。「空を自由に飛びたい」と思っていました。ところが、実際に私が最初に就いた仕事は、皮肉なことに、航空管制官という、パイロットに「空を自由に飛ばせないぞ!」という仕事だったのです。

大失敗 : 間違った指示を出してしまった
羽田空港内にある訓練施設で基礎教育を受け、最初の配属先は埼玉県所沢市にある東京航空交通管制部(Tokyo Control)という、主に航空路を管理する管制施設の管制官になりました。
ところが、ある日、とんでもないエラーをしてしまったのです。大阪発グアム行というジャンボ機に、間違った指示を出してしまい、しかも、そのことに全く気付かない、という大失敗をしてしまったのです。幸いベテラン管制官が、偶然そのことに気付き、私はその重大な間違いを指摘されました。私は直ちにその間違いが理解できました。ところが、その瞬間、頭の中が真っ白になり、どうしていいか全く分からなくなったのです。顔がカッと熱くなり、鼓動が外に聞こえるのではないか、というくらい心臓がバクバクしました。「何かしなければならない」と焦れば焦るほど、どうしていいのか分かりませんでした。
幸いそのベテラン管制官が適切な指示をしたので、ジャンボ機は何事もなく、グアムに飛んでいきました。飛行機が去った後は私の手はブルブルと震えていました。とても仕事ができる状態ではありませんでした。そこで、シフト・スーパヴァイザに申し出て、アシスタント業務に格下げしてもらい、その日は仕事が終わりました。

なぜエラーをしたのかの疑問から研究へ
「もうこの仕事は自分には向いていない」と思い、辞めようと思いました。しかし、私は飛行機が大好きだったので、飛行機の職場を離れるのは嫌だと思いました。そこで、逃げるのではなく、「なぜ、自分は間違った指示をしたのか、その原因を突き詰めて考えてみよう」と思いました。いろいろ本を読みましたが、やはり体系的な知識を得るためには大学で学んだ方がいいと考え、再び受験勉強して、心理学を専攻しました。博士課程の3年の時、東京電力(株)技術開発本部から、「原子力発電の安全のためには、設備をいくら揃えても運用するのは人間です。今度、人間側から安全を考えるヒューマンファクター研究室を作るので来ませんか?」というお誘いを受けました。私は原子力の知識はほとんどありませんでした。そこで、「現場実習をさせてください」という条件で転職し、福島第一原子力発電所で現場実習(1,2号)として約1年間、さらに、運転員の標準コースの訓練をBWR運転訓練センターで受けました。その後、研究所で約20年間、主に訓練用シミュレータを使って、過酷事象に対応する運転員の行動分析を行い、ヒューマン・マシン・インターフェースなどヒューマンファクター研究に従事しました。

医療事故の研究会へのお誘い
研究所は横浜にありました。研究用シミュレータを使った実験を計画している時、横浜市立大学の心理学の教授から電話がありました。「横浜市立大学附属病院で医療事故があり、心理学の観点から医療事故を防止する研究会がスタートしたので、一緒に対策を考えて欲しい。」というお誘いがありました。
ここで初めて医療事故調査報告書を読みました。
驚きました。病院は危険な薬を使ったり、手術では実際にメスで人間の体を切ったりする、というリスクが非常に高いところなので、リスク管理がきちんとされてるだろうと思っていました。ところが、全く逆で、当時「こんな基本的エラー対策もやっていないのか!」と驚きました。実態を知る前は、病院で用いられているリスク管理手法を産業界に応用しよう、と考えていたのです。しかし、ほとんど参考になりませんでした。

医療事故の当事者との出会い
ある時、京都大学医学部附属病院で安全の講演をしました。講演が終わりパソコンを片付けていた時です。一人の若い看護師さんが近づいてきました。目の前に来たので顔をあげて見ると、なんと、泣いていたのです。驚いて、「どうしたのですか?」と声をかけると、泣きながら「講演を聞いているうちに、いろいろなことが浮かんできて、涙が止まらないのです。」と答えました。私はさっぱり意味が分からないので、再び、「どうしたのですか?」と尋ねると、「私の間違いで患者さんが亡くなってしまいました。」と泣きながら答えました。2000年3月に起った医療事故の当事者だったのです。当時、私はその医療事故そのものを知りませんでした。私は非常に驚き、その場では話す時間がありませんでしたので、名刺を渡して別れました。その後、弁護士と会い、ヒューマンファクター工学の観点から、この事故の問題点を指摘した意見書を裁判所に提出しました。
次第に医療がヒューマンエラーに対してとても脆弱であることが分かり、これまで研究対象にしてきた、航空管制、航空機、原子力発電などとは比較にならないくらい問題が多いことが分かりました。

自治医大メディカルシミュレーションセンターへ
いろいろな医療関係の研究会に参加しているうちに、自治医科大学から「今度、シミュレーションセンターを作るので来ませんか?」というお誘いがあり、以前から、医療の教育の中にシミュレータの利用があまりされていないことを指摘していたこともあり、自治医大医学部メディカルシミュレーションセンターに転職しました。その後、約10年間、センター長、および、医療安全学教授として勤務しました。

株式会社 安全推進研究所の設立
私は一貫してヒューマンエラーについて研究してきました。偶然にも、高度な安全性を求められる航空管制システム、航空機操縦システム、原子力発電システム、医療システムを内側から経験することが出来ました。その経験から言えることは、ヒューマンエラーは原因ではなく、結果だということです。そして、ヒューマンエラーを理解しようとするならば、行動のメカニズムを理解する必要があります。
この考えを広く理解していただくために、2018年、自治医大学の定年退職をきっかけに、株式会社 安全推進研究所をスタートさせました。今後は、これまでの私の経験や研究から得られたヒューマンエラーに対する考え方を紹介します。そして、不幸な人が、可能な限り少なくなり、さらに、現場で働く人が生き生きと働けるような方策を提案していきたいと思っています。
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