1985年8月12日、午後6時半ころ、日本航空123便が御巣鷹山に墜落しました。
当時の記憶も段々薄れていきます。
当時、私は東京航空交通管制部クルー8のメンバーでした。
9時半からのナイトシフトなので早めに出勤しました。 記憶が怪しいですが、8時くらいだったと思います。
管制室が騒いでいました。使っていないレーダースコープに赤いグリスペン(紙でくるくる巻いた太い色鉛筆)で航跡が描いてありました。
テレビでは行方不明になった123便のニュースが盛んに流れていました。
東電に転職して、その墜落現場を見に行く機会がありました(東電の揚水発電所が近くにあった)。
安全の社内講演をしたら、その後、現地社員が案内してくれたのです。 当時、捜索活動をした消防団の人をつれて来てくれました。 いろいろ生々しい話を聞きました。
あの飛行機には坂本九さんが乗っていました。 防衛医大のある医師は、123便に乗る予定でしたが、患者が急変したので乗れなかったそうです。
後に、彼は検視する側になったということです。 運命ですね。 時間が経つのは早いです。
当時の記憶も段々薄れていきます。
当時、私は東京航空交通管制部クルー8のメンバーでした。
9時半からのナイトシフトなので早めに出勤しました。 記憶が怪しいですが、8時くらいだったと思います。
管制室が騒いでいました。使っていないレーダースコープに赤いグリスペン(紙でくるくる巻いた太い色鉛筆)で航跡が描いてありました。
テレビでは行方不明になった123便のニュースが盛んに流れていました。
東電に転職して、その墜落現場を見に行く機会がありました(東電の揚水発電所が近くにあった)。
安全の社内講演をしたら、その後、現地社員が案内してくれたのです。 当時、捜索活動をした消防団の人をつれて来てくれました。 いろいろ生々しい話を聞きました。
あの飛行機には坂本九さんが乗っていました。 防衛医大のある医師は、123便に乗る予定でしたが、患者が急変したので乗れなかったそうです。
後に、彼は検視する側になったということです。 運命ですね。 時間が経つのは早いです。